地銀とGとL

2016年11月18日、「Round Table 地域金融みらい会議2016~10年後への分水嶺『大切にしたい銀行』と『捨てられる銀行』」というイベントに出席した。そのときの感想について記そう。

パネラーの人は、地銀業界に深い絶望を覚えたようだった。例えば、銀行関係者には女性が一人たりとていなかった。
これを「50代世代が入行する時代は、地銀は就職先として人気があり、女性を採用しなくても優秀な人材が確保できた」と分析した人がいて、僕からすると至極もっともな話だった。
これに対し、業界の外の人から、「地銀が勝ち組なんて、時代錯誤も甚だしい」「この場に女性がいたら、なんて思うんだろうか」という、これも、もっともな意見があった。

どの発言が決定的だったのかは想像するしかないが、どうやら彼らは、「地銀は、自分たちの立ち位置が分かっていない」「時代の変化を全く理解しようとしていない」と絶望したようなのだ。

しかし僕は、この絶望に、違和感を禁じえなかった。話せば話すほど理解しあえないような、立場があまりに異なって共通言語が見いだせないような、そんな違和感があった。地銀業界が、現状を是認しているわけではない。
むしろ、外部からの様々な指摘を受け、大いに危機感を持って取り組んでいるつもりなのだが、これが全く響かないようなのだ。

そこで、ふと思ったのは、「トランプ勝利」や「Brexit」が、なぜ起こったのか、論理的に考えれば、まず多数派になりえないような主張が、なぜ勝利を手にしたのか、ということである。

少し前に読んだ、エマニュエル・トッドの「問題は英国ではない、EUなのだ」という本で、指摘されていたのは、「グローバリズム」が本当に正しいのか?という問いだった。
僕は、これを読んだときに、これまで盲目的に正しいと思っていたものに、一点の問題提起をされた感覚を覚えた。

そして、大方の予想を裏切ってトランプ大統領が誕生したことを受け、冨山和彦氏が分析した
「Gの時代」が終わり、「Lの時代」がやってきた」を思い出すに至って、僕のなかで、気づきがあった。

それは、今回僕が感じた違和感や断絶は、「G」と「L」の問題なのではないか、ということだ。
つまり、我々は「L」なのだ。そして、彼らは、自覚的かはともかくとして、「G」なのだ。
違和感の正体は、トランプやBrexitで示されたのと同じ、「G」的スタンダードに対する、疑問なのではないか。
これまでの「パックス・グローバリズム」に対し、堂々と反論できないでいながら、違和感を持っていた人たちが、欧米だけではなく、日本にも、いや、自分自身のなかにも存在したということなのではないか。

この問題の問題たるゆえんは、「G」と「L」との間で、相互に想像力を働かせることが難しいことなのだと思う。ホリエモンの言っていることは、10年前は理解できる人がほとんどいなかったが、今は、かなり理解できる人が増えた。
ITの進歩もあって価値観は大きく変わったが、その結果、新しい価値観を持つ人は、従前の価値観をまったく理解できなくなった。
だから、結果が出るその瞬間まで、価値観が対立していることにすら、気づかなかった。
「G」の価値観だけで語れるほど、世界はひとつになっていない、ということがわからなかった。
そういうことが、起きているのではないか。

翻って考えると、金融にも「G」と「L」がある。恐らく、彼らは「G」なのだ。地銀は「L」なのだ。冨山氏の記事にある「インテリが間違っているのは、グローバリズムを進めることが進歩であって、ローカリズムが退行現象だと思っていることだ。西洋のインテリも日本のインテリもそう考える傾向がある」という指摘が重い。「G」で押せば押すほど、「L」は混迷を深め、その後、反感を覚えていく。数で勝る「L」は、民主主義社会では多数派を形成することができる。

おそらく、今後はローカリズムの潮流が拡大していく。その時代に地銀がいかにあるべきか、「G」の方たちとの交流を大切にしながら、考えていきたいと感じた一日だった。

 

匿名の地方銀行員