経営学と実務(4)~経営学の歴史と潮流~

「経営学と実務」シリーズは、①経営学と「人間学」、②経営学とイノベーション、③経営学と数字・財務という内容で連載して来た。最終回である第4回のテーマを経営学の歴史と潮流としたい。

 

経営学の歴史

経営学も最初は実務から出発した。実務家が自らの経験と手法を書いた。テイラーの『科学的管理法の原理』(1911年)がそれである。次に、経営者が自らの経験と思想を晩年にまとめた。ファイヨールの『産業ならびに一般の管理』(1916年)やバーナードの『経営者の役割』(1938年)などがそれである。

ところが、1940~60年代になると――産業心理学や経営戦略論などが登場する時代であるが――、専門研究者が登場し、細分化された専門領域を形成するようになる。現在の研究もそのような流れの中にあり、専門領域が形成されている。

ただ、近接の経済学と比べると学問としての歴史の厚みにはかなりの差がある。経済学の出発点とされるアダム・スミスの『国富論』が1776年で、既述のテイラーの『科学的管理法の原理』が1911年であるから、彼我の歴史の差は130年程の差がある。とは言え、前回触れたように、会計の領域は500年ほどの歴史があり、これを加味すると評価もまた微妙に変ってくる。

 

『経営学100年の思想』

さて、経営学の全体を鳥瞰するという今回のテーマに関して、私にはささやかな経験がある。大学に来て2年経過した2001年2月に、ダイヤモンド社から『経営学100年の思想 マネジメントの本質を読む』を出版した。400頁程のボリュームで、経営学の古典とされる本30冊を任意に選び、現代的かつ実践的な問題意識からそのエッセンスを紹介するというものである。

ちょうど20世紀が終り、100年を経過した時点で、経営学がどのように発展、進化してきたかを大掴みしようという狙いは的を射ていたようで、3200円という高額ながら5千部を完売した。類書としては東洋経済新報社から出された『マネジメントの世紀』(2000年12月)のみだった。これは世界的なコンサルティング企業のブーズ・アレン・アンド・ハミルトンが英国のジャーナリスト、スチュアート・クレイナーに執筆依頼したもので、言ってみれば組織をあげての出版である。

私の方は、サラリーマン時代の最後の2年と大学に転進しての1年の満3年間、月刊誌に連載するという地道な作業が土台になっている。ご推察のように、その本を1冊読めば書けるというものではなく、著者の前後の本、これに当該テーマの研究本を併行して読んで、要約するという作業を3年継続したわけであるから、知的作業というより過酷な肉体労働だった。今、振り返れば懐かしい。

 

「経営理論の史的Sカーブ」

さて、こうした気が遠くなるような作業を継続した結果、見えてきたものがあった。経営学の潮流である。経営学の歴史がおのずから形成する潮流、そして潮流そのものが時代のメッセージとなっているという事実、その意味合いを第2部としてまとめた。それを要約したのが図表の「経営理論の史的Sカーブ」である。

この図表は3層構造をなしている。一番外側の層が理論の枠組み、2番目の層が人間観、3番目の層が代表的な研究者群である。

第1層の「理論の枠組み」に関しては100%私のオリジナルではなく、先行研究があった。1970年代末頃と思われるがW・リチャード・スコットというスタンフォード大学の教授が「経営理論の歴史的4象限」なる枠組みを発表していた。合理性・社会性という縦軸と閉鎖系・開放系という横軸のマトリックスによって、これまでの経営理論は整理できるというものだった。

しかし、その後30年近くが経過し、経営も経済もグローバルな展開を見せている。それをどう掴むか。そこで、私は合理性・社会性という人間理解の軸にその発展系として理念性――言葉はこなれていないが――を加え、閉鎖系(企業内部に焦点)・開放系(企業間競争が視野に入る)という企業理解の軸にグローバル文化比較という発展系を設けた。

第2層の人間理解は各時代の経営理論が特徴的な人間観を共通の土台としているとの認識がある。①マン・マシンモデル、②経済人モデル、③管理人(かんりじん)モデル、④社会人モデル、⑤自己実現人モデルまでは一般的な理解であるが、私はこれに⑥理念人モデルなるものを加えた。

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カーブ――潮流の意味――

そうすると、経営学の潮流が時計回りか、その逆回りか、それは図の設計によるのでどちらでも良いのだが、単純な連続的展開ではなくSカーブを描く。そこが面白い。それは1960年代に登場した経営戦略論の人間観が4代前の経済人モデルに後戻りしている――あるいは人間観に対する興味をほとんど示していない――ことによる。言い換えれば、アンゾフに代表される初期の戦略論の研究者の人間理解の未熟、無関心が指摘される。

ところが、歴史の流れは面白いもので、戦略論それ自体が登場した背景に企業の競争、競合というものがあり、80年代にくっきりとその姿を現わしたのが日本の自動車、家電産業の強い競争力だった。経済・経営の保守本流たるアメリカ経済が日本経済・経営の攻勢に悲鳴を上げ始めた。その結果が「ジャパン・バッシング(日本叩き)」である。

ところが、学者、研究者は比較的冷静で、日本経済発展の根底にある日本的経営が何であるのか、これを具体的に研究し始めた。オオウチの『セオリーZ』(1981年)、ピーターズとウオーターマンの『エクセレント・カンパニー』(1982年)、ハメルとプラハラードの『コア・コンピタンス経営』(1994年)、コリンズとポラスの『ビジョナリー・カンパニー』(1994年)、野中郁次郎と竹内弘高の『知識創造企業』(1995年)などで、付言すれば1958年に出版されたアベグレンの『日本の経営』はそれらの先駆的研究と位置づけられる。そして、そこで発見されたこと、それが60~80年代の人間無視の未熟な戦略論に対する強力なカウンターパンチとなるという歴史の皮肉があった。

すなわち、既述の研究の共通の特徴は①「優秀な企業」のインスピレーションを日本企業と日本的経営から得ているという事実、②企業の卓越性を形成する要因――イノベーションと生産性――を生み出すものが企業文化であるという事実、さらに、③企業文化のエッセンスが経営理念にあるという気づきである。これらは60~80年代の競争一辺倒、合理性一辺倒への反省を経て自覚されたと言える。

これはしかし、よく考えればそのとおりで、どのような領域であれ、人間の営みが正しく追求されていけば、究極の成功要因としての人間そのもの、そのエッセンスたる文化(理念・哲学)・人間性に焦点が合っていくのは当然のことだ。

そして、ここ20年程の研究の結論は、経営上、最も重要なイノベーションが――これこそ戦略の本質であるが――、経営理念という事業の着眼点から生み出されるというもので、期せずしてこの結論が、私の従来からの主張だった「理念が独自性を生む」という命題と重なることとなった。

 

研究の「進化」と「深化」

ところで、もうひとつの私の気づきを言えば、研究の発展には、「Sカーブ」で表わされる領域の展開――「進化」――と領域内での研究の「深化」の二つの方向性がある。スタートの①マン・マシンモデルを例に言えば、この領域は現代用語では生産管理のイノベーションと言って良いと思うが、当初はテイラーの「科学的管理法」の採用、次にフォードのベルトコンベア・システムによる大量生産方式の導入、それから約40年後にこれら二つのイノベーションを下敷きにして大野耐一がトヨタ生産方式、カンバン方式を完成させることになる。ところが、経営学はその潮流としては生産現場のイノベーションからスタートしながら、ファヨールやドラッカーの登場により組織全体をテーマにする組織論へと展開していく、云々となる。

このようにそれぞれの経営学は個々の領域で「深化」しながらも、他方で、新たな問題意識に導かれて研究の未開のフロンティアを見出す「進化」を遂げて行く。

こうして、20世紀100年間の経営学が、生産管理や組織論、人間関係論、産業心理学、戦略論や企業文化をテーマとしながら、「人間」に焦点を当てていく探求のプロセスであることに、人間と社会の究極の問題の在処(ありか)を示唆していて面白いと私は思う。