JUST MONEY! 「おカネ」のことについて、これまでの人生で一番じっくり考える1日


私たちにとって「おカネ」って何なのでしょう?

 

これは、有史に「おカネ」というものが誕生して以来、ほとんどすべての人を悩ませてきたテーマです。それを追い求めた歴史上の探求者たち、アダム・スミス、カール・マルクス、JMケインズなどの経済学者はもとより、ジョン・ロック、ダーウィン、ミヒャエル・エンデなどの哲学者、生物学者、文学者たちも、人類が作り出した「おカネ」という道具について、深く魅入らされ、悩まされながら研究を重ねてきてきました。

 

しかし、いまここ、私自身にとって「おカネ」とはどういう意味をもつのでしょう?

先の学者たちがつくりあげたどんな理論も、私自身の人生に対しての「おカネ」の問題は解決してくれそうにありません。たとえば「おカネ」について、どこに投資すれば利回りが期待できるだろうとか、どこから住宅ローンを借りたら金利が低いだろうなどと考えることはあります。借金という「おカネ」の問題は、状況によってはもっと深刻なものかもしれません。しかし、よく考えてみると、これらは「おカネ」にまつわる問題に「どう対応したらよいか」というテクニックに過ぎない感じがします。「おカネ」は「自分がどういう存在になっていたいか」という「自分のありかた」そのものを表現するものではありません。

自分の人生が期限付きのゲームだとしたら、今回の人生には「おカネ」という道具が与えられている。ただし、どうも人生はモノポリーのように「おカネ」をたくさん蓄えていれば勝利、というゲームでもなさそうです。

 

もともと銀行員出身である私は、金融業界で長く身をおいて仕事をしてきています。しかし、なんということでしょう! 私は「おカネ」にまつわるテクニックについてはずいぶんと勉強をし、経験も積んできたけれど、「おカネと幸福の関係」のことを真剣に考えたことがなかったようなのです。

こうして、金融の専門家でありながらの49歳からの「おカネの探求」の旅が始まります。

 

タイミングとは引き寄せれば訪れるものです。今年の春のこと、親しい友人がマサチューセッツ工科大学が立ち上げているedXという公開オンライン講座でJust Money: Banking as if Society Mattered というコースがスタートすることを教えてくれました。そして、早速、講座の受講を始めました。

Just Money、「公正なおカネ」または「まっとうなおカネ」と訳せばよいでしょうか。このオンライン講座では人びとが幸福で持続可能な社会を作るためのおカネや銀行のありかたについて、深い対話がなされています。世界には、環境、貧困、教育、高齢化社会などの社会課題の解決に対して「おカネ」を通して取り組む銀行がたくさんあります。それは、寄付や税金で成り立っているのではなく、多くの銀行と同じように、預金と融資で運用されていて、そこにおカネを預けたいと感じている市民もたくさんいます。彼らは、これまでの資本の論理とは少し違うどんな社会を作りたいかという「意図」をもったおカネの流通を行っています。

私たちは、そのことを教えてくれた友人たちと共同で、金融に関係がある人ない人を交えた「おカネ」のことに関心があるメンバーを集め、金融MSD(マルチステークホルダーダイアログの略)という勉強会グループをたちあげました。金融MSDには50人近くのメンバーが参加し、現在も講座の翻訳作業やオンラインでの意見交換などを行っています。(Just Moneyの内容については、改めてどこかで触れます)

 

Just Money: Banking as if Society MatteredのMOOCサイト

 

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「おカネの探求」の旅はまだまだ続きます。

金融MSDにも参加してくれていた、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科(慶應SDM)の保井俊之さんと話していたとき、とても興味深い話をしてくれたのです。

保井先生いわく、おカネには二つの性質があるのだそうです。ひとつは、もうけを極大化する性質をもつ「ゼニー」、もうひとつは「ありがとう」という感謝を極大化する性質をもつ「エミー」というそうです。「ゼニー」は、たとえば株式市場なんかで投機的に売買されるときのおカネのこと、「エミー」はたとえば、ご近所の「雪下ろししてくれてありがとう」といいながら感謝とともに笑顔で手渡すおカネのことです。このふたつは、異なる性質をもっていて、どちらがよいとか悪いというものではない、「ゼニー」と「エミー」はそれぞれの役割があり、バランスをもって地域のコミュニティが作られていくことが、これからの幸福な地域社会を作っていくために、とても大切なことであるということを保井先生は教えてくれました。

 

そして、保井先生はなんと「ゼニー」と「エミー」の経済圏を実体験できるゲームを開発しているとのこと。その開発には、保井先生のほか、幸福学の権威である慶應SDMの前野隆司先生、そして、親しくさせていただいたクウジットの代表の末吉隆彦さんも、慶應SDMの研究員として関わっているとのことでした。

 

「ゼニー」と「エミー」のゲームを自分たちでも体験したい!

そう思って、末吉さんに声をかけたら、すぐに全面協力を申し出てくれて、あっという間に企画がまとまりました。

 

名づけて

「JUST MONEY!~「おカネ」のことについて、これまでの人生で一番じっくり考える1日」

 

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主催はISID、クウジットさん、慶應SDMさんで決まり、開催場所は、大手町の東京銀行協会のビルのなかにあり、FinTechのスタートアップ企業などが入居しているFINOLABにしました。まさに日本での金融の発火点のど真ん中という場所です。共通の友人であった渋谷健さん(フィールドフロー代表)も、 ファシリテーターとして協力してくれました。こういうときは、勢いが大切です。

 

そして、そのイベントが9月9日に開催されました。金融MSDからの呼びかけで金融機関、当局の関係者、社会起業家、学校の先生、ゲームクリエイター、コンサルタントなど、「おカネ」に関心をもつ多様なメンバーが集結しました。私も自分も主催者でありながら、一参加者としてゲームを楽しみました。

ゲームは、仮想の商店街を舞台に繰り広げられます。参加者は商店主という役割を演じます。商店主に最初に与えられる達成目標は「(ゼニー)もうけの極大化」です。競争意識は、人の奥底にある意識の何かに火をつけるようです。私もあくどい手を駆使しての駆け引きに奔走しましたが、その楽しいこと、楽しいこと(笑)

そして、次に与えられる達成目標は「(エミー)ありがとうの極大化」です。今度は、同じ人が感謝と笑顔であふれるコトバを交し合いながらおカネが流通していきます。そして、一つ一つの輪がつながって、商店街全体が一体感のあるコミュニティへと場が転換していきます。

ゲームでは、前半の「ゼニーの極大化」と後半の「エミーの極大化」という達成目的を変えただけで、それ以外の参加者の行動は一切制限されていません。まったく同じメンバーが、一人ひとりの「おカネ」とのかかわりかたの違いによって、まったく異なる社会が形成されていくのです。

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これこそが、現実社会で起こっていることなのかもしれません。サブプライムローンの理論を提唱した中国人の学者は、「貧困層にも、住宅を保有できるような住宅ローンを作りたい」という純粋なエミーの意図をもっていたといいます。しかし、強いゼニーの意図をもった投資家たちがこの技術を手に取ったことによって、リーマンショックが引き起こされたのです。

このイベントでの体験は、誰よりも私自身が「おカネ」のことについて、これまでの人生で一番じっくり考える1日になりました。

 

「おカネの起源」に対しては、これまで長く信じられていた定説がありました。

「大昔、物々交換があり、その不便さを解消すべく、商品の中から変質しにくい金属などが選ばれておカネとなった」という考えです。しかし、物々交換から貨幣が発生したという歴史的証拠がどの社会でも発見されていないという事実から、今日ではこの定説は覆されつつあります。

カビール・セガールが著した「貨幣の『新』世界史 (早川書房)」のなかでは、最新の貨幣論を整理したうえで「おカネは、人間が協調的行動を表現する方法としてその価値のシンボルとして創造された」という説を提唱しています。

そうだとしたら、私たちが協調的行動によって作り出したい社会は「ゼニー」と「エミー」がどのような、バランスをもっている姿であるべきなのでしょう。実社会では、それをどうやって現実に近づけていくことができるのでしょう。

 

はじめたばかりの「おカネの探求」の第一仮説、それは「おカネ」は私たち自身がどんな幸せを、どんな社会で実現したいかによってその役割が決まるもので、それはまずは自分とおカネのかかわりを変えることからはじめるということ。

まだまだ先は長そうです。